気持が塞ぐ、そんな時には本を読むのだ

学生時代に読んだ本を引っ張り出す。柄谷行人「意味という病」(講談社文芸文庫)、夏目漱石「私の個人主義」(講談社学術文庫)をぱらぱらと。あー柄谷行人とか読んだよね、私。もうほとんど覚えていないけれど、所収の『マクベス論』はやはりよい。
こことか

精神という場所ではどんな奇怪な分裂も倒錯も生じるということをあるがままに認めたところに、彼*1の比類ない眼がある。この眼は人間の内部を観察しようとする眼ではない。観察したり分析するには、この自然はあまりに手強い。いや手強いからシェークスピアはそれを自然と呼んだのである。

ここ

マクベスは魔女と闘うのをやめたが、同時に彼*2はそこから引返せというマクダフの誘いを拒ける*3。彼が拒けたのは自己の存在が無意味だという考えそのものであって、彼は自分を何であれ意味づけねばならぬこと自体を拒けたのである。彼が最後に抜け出たのは、いわば「悲劇」というわな、自己と世界との間に見せかけの距離を設定した上で和解へと導くそのからくりにほかならない。彼は「悲劇」を拒絶する。

私は意味のないもの、意味を超えるものが好きだ。

*1:シェークスピア

*2:マクベス。以降同じ。

*3:はねつける?しりぞける?