読書メモ

積ん読消化中。
三浦しをん「乙女なげやり」太田出版(カバー絵:二ノ宮知子
『新婚リサーチ』の、「本」と言って「雑誌」の『週刊少年ジャンプ』を読んでいたから破局した友人の恋のエピソード。わかる。「ジャンプ」を読んでいたのがいけないんじゃなくて、「雑誌」を「本」と言ってしまう感覚が我慢ならんという気持。わかるわ。なんて言ってる人間のカテゴリ「本」は一緒くただけど、これは「本(周りの話)」なんだもの。カテゴリ分けるの面倒なんだもの。誰にともなく言い訳。
三浦しをん「桃色トワイライト」太田出版(カバー絵:松苗あけみ
表紙を見て!「ぶ〜け」が積んであるの。
奥田英朗「サウスバウンド」(上・下)角川文庫
三木聡監督で映画化もされた「イン・ザ・プール」(未見)や直木賞受賞作「空中ブランコ」の作者が、全共闘をどう書くのかという興味で読んだ。これも森田芳光監督で映画化されている(未見)。元過激派の父を持つ小6男子が主人公。「個人単位で考えられる人間だけが、本当の幸福と自由を手にできるんだ」という台詞がよかった。
桜庭一樹「私の男」文藝春秋
第138回直木賞受賞作。近親相姦の殺人者の話、なんだけどファンタジーです。これは。帯(何刷までいっているのかわからないけれど、白帯・黒帯ともに売り文句は同じ)に「越えてはならない、人と獣の境はどこにあるのか?」なんて書いてありますが、獣は近親相姦なんてしないでしょうね。まあ鬼畜には違いないさ。「赤朽葉家の伝説」を読んでいないのに言うと、この作者には、血のつながりという継続したテーマがあるように思う。「赤朽葉〜」では女3代の話だったのが、今作では父娘の話なので、近親相姦にならざるを得ないというか、そんな印象。父娘といったって、16の時の娘なので若いし、物腰「優雅」で顔立ち「端正」というんだから、きれいすぎる。「血の人形」はやっぱり気持ち悪いけれど。更に「ふるい」、「あたらしい」など意識した平仮名表現の多用がきもちわるさに拍車をかけていて良いですが、比較したわけではないので、この作品に限ったことではないのかもしれません。各章にひとつはうつくしい場面があって助かった。衝撃の問題作(これも帯に書いてある)なんて文句に怯まずに、うつくしい描写を楽しめばいいのだと思う。
ところで、にのみやさんが、これを読んだとニッキに書いていらっしゃったのは何時のことでしったけね。本屋大賞(「私の男」は9位)の頃には、POPに二宮と入れるかどうか迷った記憶があるから、その前だな。時期的に間に合ったかどうかわかりませんが「Gimmick Game」 は「私の男」にインスパイアーとやら、されたんではないかしらん?と妄想したら楽しかった。ちなみにPOPは書きませんでした。
ギミックゲーム。最初に聴いたときに「キタナイ」は、語感が強すぎると思って気になったんだけど、私の男の第3章に汚い「指」が重要な場面があるんです。あの指はキタナイ。「”愛してる”が腐ってる」は主人公の名前が腐野花。「私が汚れているから?」は高校生の主人公が友達への電話で「わたしは汚れてるから」と言う、など被る点多数。でも、こんなふうに感じるのは私が嵐脳だからなんだろうなあ。ニッキによると最近読書されてるそうですね。タイトル書いてくだされば良いのに。読むから。読んで妄想するから。どんな小説を読んでも登場人物をあらしに当て嵌める病からは回復しましたが、あらしの人が読んだ本を読んで、妄想するという新たな段階(?)に突入しただけのような気がします。「文体練習」も発注しました。入荷したところでどうしようか。何せ注文書のFAXが送られてきたのでね。きっと同じ病の人が買ってるから急に売り上げが上がってるんだと思いますよ。
もうちょっとギミックゲーム。にのみやさんは歌詞を目で見たときのことを意識して書いているのかもね、と思う。カタカナの多様は抜け感と行・幅の統一?だから「私」と「ワタシ」が混在するのかな、とか。しかしながら「すれば ほら きた」は如何なものか?よ。