駿に愛の花束を

昨日、地元のシネコンで「ヤッターマン」観てきました。いくら月曜の昼間だからって、いくら人口15万に満たない都市だからって、公開3日目にして観覧人数8人って、どうなの?内訳は、私と連れ*1の他、親子連れひと組(子供は5歳くらい)、あらしファンひと組*2、おひとりさまふた組。少なくともポニョの時にはあったグッズ売り場も潰されていて、端っこで申し訳程度にパンフレットが並べられていました。ヤッターグッズ楽しみにしてたのに!ただ、これはヤッターマンの興業成績云々じゃなくて、地元の経済の問題なんだと思います。唯一の映画館が撤退する日も近いかも。それどころかいつ夕張の二の舞になるか知れない。それはそれとして、格差社会なんて今に始まったことじゃないし不況なんて下層には今更なんだから、みんなもっと娯楽にお金を払おうよ!!
ヤッターマンの感想を書こうと思ったら、あらぬ方向に筆が進んでしまいました。以下、宮崎駿の話。調子に乗って長くなったので閉じます。


つづき。
これは何も派遣村にいるようなギリギリの人に向けて言ってるんでも、業績悪化に喘いでいる企業の人に向けて言ってるんでもありません。ただ個人的に好景気の恩恵にあずかったことがないので、なんら生活が変わった実感がない。つまりずっと下層。経済オンチのくせに、一億総中流なんて現在はもちろん、当時も幻想に過ぎないでしょ?と思わずにいられない私のような層は割と多いんじゃないかと見ているんだけれど、どうなんだろうか。そうは言っても、右を向いても左を向いても、不況、不況のニュースで、実際オットは無職だし気が滅入るよな〜まいったな〜と思っているところに、駿がえらいいいこと言ってたよ!!と思ったら、厳密には駿が言ってたわけじゃありませんでした。
宮崎駿「折り返し点 1997〜2008」(岩波書店
カバー見返しにある通り「企画書、エッセイ、インタビュー、対談、講演、直筆の手紙など60本余を一挙収録」した本です。「あとがきにかえて」を読む限り、こうして引用されるのは迷惑だろうけど、仕方ないね。本として世に出てしまっていますからね。その中の「虫の世界・樹の世界・人の世界」と題した養老孟司との対談(初出は『熱風』スタジオジブリ 2006年4月号)で

宮崎 この十数年、日本はずっと政治のこととか経済のこととか論じ過ぎた気がするんですよ。もううんざりですね。
養老 可笑しかったのはね、学者が集まるある立派な会議で「いまの日本の経済」というテーマで旧通産省の社会経済研究所の所長が一時間くらいしゃべって、そのあとある経済学者が一生懸命質問して二人で議論して、やっと二時間くらいの会議が終わりかけた。で、最後に北九州の工学部のある人が「要するに金の話じゃないか、金の話。そんなことばっかり議論しているから日本がダメになるんだ」ってひとこと言って終わりになった(笑)。
宮崎 それ、とてもよくわかる!
養老 あのときはスキッとしたね。「要するに金の話だから」って(笑)。
宮崎 金の話ばかりするのはみっともないですよね。いいとか悪いとかじゃなくて、みっともないんですよ。もちろんやらなきゃいけないことはいろいろあるでしょうけど、でも、結局、日本では飢え死には出ていないし。
養老 そう。たかがしれているんじゃないかっていうのはそこにありますよね。

いや、知らないところで飢え死には出ているだろう、と思いますが、それはどっちかというと時代よりも個人の問題な気がするのでおいといて*3、ね!スキッとしたでしょ!?
こんなことも言っています。山折哲雄との対談「万物生命教の世界、再び」(初出は『Voice』PHP研究所 2002年1月号)より

日本はやはり小国なんだと思います。軍事戦争で負けて、経済戦争でも負けたんだから、早く悪い夢から覚めて分相応に生きたほうがいい。そういう意味で、いま新聞を見ていていちばんおかしいと思うのは、一方で「この文明は五十年くらいで終わる」とか「もう地球はもたない」という話題を載せながら、一方では「あと二年ぐらいたったら景気が回復する」などという記事を書いていること。五十年後に文明が終わるというときに、二年後の景気の話をしても仕方ないと思うんですが、経済学者は経済の数字しか見ていないし、政治記者は政局しか見ていない。社会部の記者は「地球を守るために使い捨てをやめよう」といっている。

日本は小国だって!いいこと言うなぁ〜。既に7年前の話なのに状況はまったくといっていい程、変わっていないように思えます。そして、筑紫哲也*4との対談「しんどいけれどこんなに面白い時代はない」(初出は『週刊金曜日』金曜日 2002年1月11日号)では

筑紫 今度のテロ*5なんかで出てきたのは、やっぱりグローバリズムという凄まじい世界一神教。これが痛撃をくらっている。アメリカが一つの神になってそれにみんな従う世界は嫌だ、という自我がけっこうヨーロッパにありますね。中国も拝金一神教で当分は走るでしょうし、アジアもそうでしょうけど、それがそれほど人間の幸せをもたらさないんだということは、遅かれ早かれ気付くでしょう。
宮崎 すぐですね。もうすぐだと思ってます。日本より早いでしょう。もう気がついてるやつ、いっぱいいるんじゃないかと思う。
二十一世紀は、確かに物質的には混乱が起こって、政治的にも混乱が起こるでしょうし、しんどいかもしれない。けれども、ぼくらが生きた二十世紀に比べると、本当にいろんなものが、いろんな当たり前のことがひっくり返って、コペルニクス的転回を迫られる。今の若者がきちんと目を開けていれば、こんなにおもしろい時代はないと思うんです。
バブルのちょっと前は、世の中が全部コンクリート化されてて、東京の街を見ると絶望感しか湧かなかった。これはもう揺るがないのかと思った。それが、こんなに脆いものだとよく分かったわけですから。これは若者は元気になっておかしくないと思うんです。

だって。元気だそうぜ、若者!わたしもうすぐ31だけど元気出す!!

*1:35歳男性。ヤッターマンが面白くないなんてありえないと断言。やめて!そんなプレッシャー

*2:漏れ聞いた会話による推測

*3:こんなこと言うと石投げられるんだろうな

*4:ご冥福をお祈りします

*5:朝寝注9.11